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練習に励んだ日々 [メモリー]

釣りの練習なんていうとトーナメントの「プラクティス」を思い浮かべると思うのですが、昔は本当に釣りの練習をしていたのです。正確にはキャスティングの練習ですね。

自分が子供の頃はまだ行動範囲内にバスが釣れる場所がなく、バス釣りに行くとしたら父親、もしくは友達の父親などに車で連れて行ってもらうしか手段がありませんでした。そうはいっても頻繁に連れて行ってもらえるはずもなくゴールデンウィークに1回、夏休みに1回、そんなペースでした。ですから釣行日が近付いてくるとワクワクして眠れなくなるほどでした。

近所でバスが釣れる場所があれば良かったのですが当時はまだそれが叶わなかったため、当日に向けてやれることといったらタックルの準備とキャスティング練習くらいでした。

学校が終わってから近所の空き地でキャスティング練習。一人でやっていた時もあれば友達と一緒の時もあった。まずは「ベイトキャスティングリールを投げられるようになること」から始まった自分のキャスティング練習。何度大バックラッシュを起こしてラインを無駄にした事か。けれども、何とかベイトリールでバックラッシュせずにキャスティングが出来るようになった。この時自分はまだ小学生でした。バスもまだ釣り上げたことがなかった。

やがて周囲の友達も次々にベイトリールを買い始めました。そうすると、ベイトリールを投げられる人が指導に就いて投げ方を教えたりもした。

その後はいかに遠投するか。目標物を置いて、いかに正確に投げるか。そして、どこまで軽いものを投げられるか。そんなことをあれこれと練習していました。もちろんそれらは実戦にも大いに役立ちました。

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当時、ルアーキャスティングは練習するものだったのです。練習を重ねて、投げられるようになってから釣り場に行く。それが普通だった。何せ、当時はリールを買うとキャスティングプラグ(ラバーシンカー)が付属されていたのです。勿論、別売もされていました。それだけ需要があったということです。

空き地や広場などで練習するにせよ、もちろん鉛のオモリなどは万が一人に当たったりでもしたら大変なのでゴム製のオモリだったのでしょう。当時、ボロボロになったキャスティングプラグは練習量の証でもありました。自分は何個ものキャスティングプラグを駄目にした。

もっとも、今ではキャスティングの練習が出来るような空き地や広場がないので現実的ではありません。30代以下の人は陸でキャスティングの練習なんてやったことはないんじゃなかろうか。ていうか、キャスティングプラグ、知ってます?

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小中池への冒険 [メモリー]

今現在の関東の湖沼は、過去に1度もバスが入ったことがないというところはないでしょう。それぞれ、少なからず定着したか、或いは以前に釣れていたが数が激減して今ではもう釣れなくなったとか、そんなところでしょう。

でも、30年前はもちろん違った。それが良いことかどうかは別として、あちこちの河川や湖沼でバスが釣れた!というニュースが聞かれ始めた。その都度、「新しいバス釣り場の誕生か?!」と少年アングラー達は心を躍らせていたのです。特に、自分たちでも行けそうな距離の釣り場だったりすると、それはもう居ても立ってもいられないほどでした。

もちろん中には、バスが釣れるほどに繁殖したわけではなく、本当にたまたま釣れてしまっただけという話もあって、私達も随分と苦汁を飲まされた。仲間内4~5人で行って誰一人として魚をヒットさせることすらないなんてことも別に珍しくはありませんでした。ブラックバスは珍しい魚なのだからそれが普通だと思っていた。釣りに行くたびにブラックバスが毎回釣れるなんてことは、夢のまた夢といった感じでした。

やがて、大網の小中池でバスが釣れるという話が持ち上がった。しかも、ブルーギルも釣れるという。ブルーギルなんて当時まだ仲間内で誰も釣り上げたことがなく、雑誌でしか実物を見たことのない、まさに幻の魚でした。

ところで、千葉県の大網ってどこだ?船橋から近いのか?まぁ、当時は子供だったので同じ県内であれど地名もよくわからず、同じ県内だから近いんじゃない?という誤った認識を持っていました(笑)。当時の自分に千葉県の広さを教えてやりたい。

しかし、無謀にも自分達は道具を持って電車に乗り込んだ。外房線?それってどこで乗り換えるんだ?あまり電車の乗り方にもまだ慣れていなかったのに、小中池に行きたい一心で電車に乗ってしまった私達。「大網って、結構遠いじゃん」仲間の一人がやっとそれに気付いた。けれども、引き返すつもりは微塵もなかった。

さらに、大網駅から小中池までどうやって行けばいいのかわからない。おそらくはとんでもない遠回りをしたのでしょう、迷いに迷って、ようやく眼前に堰堤らしきものが見えてきた時には、クタクタになっていたはずなのに、思わず皆で走った。

遂に私達は、小中池に到着した。もう昼近かった。しかし、足場がない。堰堤はちょっと足場が高いし周りは山に囲まれていた。私達は4人で狭い場所にタックルを置いて釣り始めた。そこ以外に低い足場は見当たらず、移動は出来ない。皆でひたすらその場所でルアーを投げまくった。

小中池はびっくりするくらい水の綺麗な池でした。とても澄んでいて、底の様子までしっかりと見て取れた。ついでに、魚なんて1尾も泳いでいないのもよくわかった。

当然の如く、全員ボーズ。やたらと疲労感だけが残った小中池釣行でした。ここにまた来よう!なんて意見は誰の口からも出ることはありませんでした。

ただ、子供達だけでの冒険ではあったのです。自分達の力で小中池まで辿り着いたという達成感はあったし、それは子供ながらにして「自分達で何とか出来る」という、ちょっとした自信に繋がったかもしれない。

今の子供は、何かを求めて思わず電車に乗ってしまうなんてことはあるのかな?行ったことのない場所にがむしゃらに向かうなんてことはあるのかな?もちろん、子供を持つ親ならば心配はするだろうけど、時にはそんな冒険もまた良しだと思いたい。いい思い出に、そしていい経験にはなるはずだから。

ちなみに現在、小中池は釣り禁止なのだそう。釣りたかったな、小中池のバス。

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30年前の最難関、湖北古利根 [メモリー]

私がルアー釣りを始めた頃はまだ身近にバスの釣り場がありませんでした。ですから、年に数回父親に神流湖などに連れて行ってもらうのがせいぜいでした。どんなに釣りに行きたくても自分の力だけでは行きようがなかった。せめて自宅から自転車で行ける釣り場さえあれば・・・

しかし中学生になる頃には、その願いは叶えられた。船橋の自宅から自転車で1時間程掛かったのですが、将監川でバスが釣れるようになった。サイズこそ望めませんでしたが、中学生レベルでもあまりボウズになることもなく、また良い時には5尾位釣れる事もあり、仲間内での将監川での人気は高かった。

しかし、自転車で1時間ほどで行ける釣り場が他にもあった。我孫子市の、湖北古利根と呼ばれる場所でした。湖北古利根は千葉県の中でもかなり早い段階からバス釣り場として有名でした。本などにも載っていた。

しかし自分をはじめ、仲間内の誰も古利根でバスを釣ることは出来ませんでした。ヒットさせたことすらなかった。それどころか、バスが泳いでいる姿さえも見かけなかった。いつも最下流の水門付近から釣り始めていましたが、古利根はとにかく浅い。ひたすら泥底で遠浅との印象がありました。沖に投げたシャロークランクのバスハンターでさえもすぐに底を叩いて砂煙を上げながら泳いでくる。こりゃ、まるで釣れる気がしない。

おまけに、藪蚊に刺されまくってボコボコにされてしまったり、竹薮の中の道を歩いていたら頭上から山蛭が落ちてきたりと、古利根にはとにかく良い印象がない。それで魚が釣れれば許せるけれど、そうではないから許しがたい。1日古利根で釣りをしても何も良いことはなく、何かしら悪いことだけが残った。そのたび、もうここには来るまいと思うのだけれども、将監川に飽きてしまうとやっぱり来てしまう。

しかし、当時から古利根は将来的に埋め立ててしまうという話があり、事実、上流では部分的に埋め立てられかけているような場所がありました。埋め立てられた部分の岸辺はゴロタ石が多く、水深があった。そしてその場所で遂に、友達のロッドが曲がった!しかしフレクトライトミノーを咥えて上がってきたのはバスではなくナマズでした。

そうこうしているうちに牛久沼、印旛沼、新川、八間落とし、道仙田といった釣り場でもバスが釣れ始め、古利根に足を運ぶことはなくなりました。

それから30年近い時間が経った。経緯はよくわからないけれども今でも古利根は埋め立てられずに済んでいる。良かった。そして、フローターやジョンボートで釣りをする人の話ではそれなりには釣れるのだとか?!昔より少しはマシになったのかな?

30年振りのリベンジ、行ってみるか?!返り討ちに遭いそうだけど・・・

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ジョンボート・メモリー [メモリー]

自分は子供の頃、周りに比べてダントツに小遣いが少なかったです。だから友達が毎日ゲーセンでお金を使いまくっていても自分はそれを見ていることしか出来なかったし、釣りに行っても、友達が貸しボートに乗って湖上に出て行くのを自分は岸から見ているということも多かったです。自分はお金がなく、貸しボートになんて滅多に乗れなかったのです。臆せず貸しボートに乗れるようになったのはアルバイトをして小遣い稼ぎが出来るようになってからのことです。

その頃自分が思っていたこと。大人になったら絶対にマイボートを買ってやる!ということでした。その理由としては、今思えば明らかに間違いだったのですが、自分のボートだったらタダで好きなだけ乗り回せるからというものでした。私の実家は一軒家で庭もあります。だからボートの維持費というものは全く頭にありませんでした。それが今ではマイボートの維持費に年10数万も(汗)

欲しかったボートはもちろんシーニンフの12K。しかし知人がシーニンフのJD-10を安価で譲ってくれるというのです。それまで10ftのジョンボートというのは全く考えていませんでした。
当時自分はまだ大学生でしたのでお金もあまりなかった。12Kを買うのは社会人にならないと無理だけれども、 知人のJD-10ならすぐに買える。また私は当時スズキの2馬力エンジンを持っていましたのでそれも有効に使えると思いました。


ということでさほど迷うことなくJD-10を購入したのでした。しかし、小さいと思っていたはずのJD-10も間近で見てみると案外デカイ(ように、当時は感じた)。こんなデカイものを自分の所有物にしてしまったのかと思いました。事実、車から降ろして家の庭先まで引きずっていくのにも大変な苦労をしました。しかも釣りに行く度に毎回です。いや~、マイボートを持つって案外大変なんだなぁ。

しかし、いざ印旛沼に浮かべてみるとやっぱりJD-10は小さかった。ちょっとでも波立つと、湖の真ん中でドンブラコッコの一寸法師状態。こんな小さなボート、いつ転覆してもおかしくないと思えました。そして荒れているときにはとてもではないけれど立って釣りは出来なかった。クーラーの上に座りながら釣りをしていた。そうでもしないとバランスを崩して落水してしまうだろうと思いました。

また、2馬力船外機で印旛沼を攻略するのも大変でした。西部のアサヒナボートさんから船を出し、承水路方面なんて気が遠くなるほど時間が掛かったし、帰りに荒れると最悪で、向かってくる波でほとんど前には進めなくなってしまう。夕方までに戻れないんじゃないかという思いを何度かしたことで、無茶はしなくなりました。
そして何より足が遅いので、トーナメントの時などは良いポイントへの一番乗りが出来ない。それが一番辛かった。当時は鹿島川河口付近のフサモのマットがいつも上位入賞者の常套パターンでした。しかし自分がそこに入る頃にはいつも散々叩かれた後だった。


また私は特にこれといった加工もせずジョンボートに乗っていました。船底がフラットなのでフラットデッキやカーペットなども張らずにそのまま直接乗っていたのです。しかし、炎天下の釣りでは焼けるように熱かった。特に水に接していない浮力体や船べりなどはうっかり手をつくと「熱っ!」となりました。そりゃ、焼ける鉄板の上にいたら熱いですよね。だから濡れたタオルを敷いたり、たまに水をかけたりしていました。

そんな様々な経験もあったので、やっぱり早く12Kに乗り換えたいと思うようになりました。そして社会人になりすぐに12Kをローンで買った。さすがにボートを2艇はいらないので、JD-10を何とかしようと思ってボートの買取をしているショップに次々に連絡を入れました。

元々安く入手したボートです。高い買取価格なんて全く期待はしていない。しかしそれでも、JD-10を手放すのは苦労をした。それは、どこのお店からも「JD-10は引き取りたくない」という返答が返ってきたからです。当時は皆トーナメントスタイルへの志向が強く、ボートといえば12Kが大人気でした。トップウォーター志向の人も当時はまださほどおらず、ジョンボートは不人気だったのです。さらに、12ftならばまだしも10ftとなるとさらに不人気で、そんなボートを引き取ったところで買い手が現れず店としても持て余してしまう、そういうことでした。結局私のJD-10は、2馬力エンジンとセットで知人に売却することが出来ました。

そして今では時代が変わり、12Kタイプのアルミボートは売れなくなった。輸入元さえもその取り扱いを止めてしまった。ボートをカートップする人は減り、トーナメンターの人はもっと大きなボートを望むようになった。

そして今ではトップウォーターフリークの人がジョンボートを好んで乗る。軽くて手軽なジョンボートは上げ下ろしも準備もラクだし、野池や小規模河川などでも取り回しがいい。中古艇も市場では人気があるようです。今の時代だったら、JD-10を手放すのにもさほど苦労はしなかったのだろうな。というか、今の自分、JD-10けっこう欲しいぞ(笑)

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憧れの雄蛇ヶ池 [メモリー]

私が幼少の頃は、身近なバス釣り場というのがありませんでした。よく雑誌に出てくるバスの釣り場といえば芦ノ湖、河口湖、山中湖、相模湖、津久井湖くらいのものでした。牛久沼でバスが釣れるようになったのも私が中学生頃の話です。

そして千葉の代表的な釣り場といえば誰が何と言おうと雄蛇ヶ池でした。そして雄蛇ヶ池は他のフィールドとは全く異なるゲームであると雑誌に書かれていました。そう、リリーパッドゲームです。ハリソンスーパーフロッグ、ガルシアフロッグといったスナッグレス性に長けたルアー、ラインはストレーンの20lbかグデブロッドのダクロンライン。芦ノ湖や河口湖といったフィールドのそれとは全く異なる道具立て。水草を吹き飛ばしながらフロッグにストライクしてくるバス。当時の雄蛇ヶ池は間違いなく、全国のバスアングラーの憧れの地であったと言って差し支えないと思います。

そして、中学の釣り好きの同級生の間で「雄蛇ヶ池に行こう!」という話が出るのも当然の成り行きでした。幸い、友達のお父さんが車を出してくれることになった。ガルシアフロッグなんて買えなかった私は、ボックスにコーモランのかへるくんを忍ばせ、指折り数えてその日を待った。

そして念願叶って、憧れの地である雄蛇ヶ池に到着。しかし全員で愕然としました。そこにはリリーパッドなんて全く無い、まっさらの池が広がっていたからです。なんか、想像していたのと全然違うぞ?!それに案外狭い。少なくとも、かへるくんの出番は無いことだけは間違いなさそうでした。

堰堤を除いて、あまり足場が良い場所も見当たりませんでした。薄暗い竹薮の中の道を進み、大きなワンドのような、足場の良い開けた場所に出ました。早速皆でルアーを投げ始めましたが泥底で浅く、底には何も沈んでいないような印象でした。

結局、3人で行って誰一人魚をヒットさせることはありませんでした。ここが散々憧れてきたあの雄蛇ヶ池なのか?!私達のその落胆ぶりといったらありませんでした。それ以来、仲間内で雄蛇ヶ池の名を出す者は誰もいなくなりました。

もっとも、当時はそのようなケースはありがちな話でした。雑誌などで「●●沼でバスが釣れた」なんていう話を聞いて勇んで出掛けたところで、丸ボウズだったなんてことなんて当時は日常茶飯事でした。バスは幻の魚で、釣れなくて当たり前だという感覚でした。

しばらくして、大学生の頃に1度だけ雄蛇ヶ池に再チャレンジしたことがあります。この時はレンタルボートにエレキというスタイルだったのですが、岸沿いにワームを投げながらゆっくりと廻ったつもりがほんの数時間で1周してしまった(汗)。その後は気になる場所を軽く探って・・・それでも時間が余った。もう1周行く?いや、もういいや(苦笑)。ちなみにその日は、デルタベイトのリングワームで何匹か釣りました。

その後は印旛沼や牛久沼、亀山ダムといったフィールドが全盛期に入り、それっきり雄蛇ヶ池に行く機会はなくなってしまいました。怪獣が出るということで「天才たけしの元気が出るテレビ」で取り上げられていた時はちょっぴり悲しい気分になりましたが。だって一応は、昔憧れていた場所だったのですからね。

雄蛇ヶ池、今でもバスは釣れるのでしょうか。あの規模の池で未だにバスが釣れ続けているとしたら、それはそれで凄いことだとも思うのですが。

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驚きのルアー達 [メモリー]

自分自身がルアー釣りを始めた頃、何よりもまずルアーそのものに驚いた。

自分は元々エサ釣りをやっていて、ルアーにも興味を持ち集め始めました。入門書にも目を通し、おおよそどのルアーがどんな動きをするのかまでは頭には入っていた。

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しかし、初めて川で投げたスピナーには本当に驚いた。ブレードって水の中でこんな高速で回るのか!さらにブレードにプリズムシートが貼ってあるものに至っては、澄んだ水の中をビカビカと反射光を発しながら泳いでくる姿にびっくりした。そしてもちろん、群れを成してスピナーを追尾し、我先にとヒットしてくるニジマスの姿にも興奮した。「ルアーってスゲエじゃん!」この瞬間、自分の中で(もうエサ釣りはないな)とはっきり思いました。

さらにルアー釣りにのめりこんでいくと、また違うタイプのルアーに出会いました。それはコーモランのかへるくん(ガルシアフロッグは高くて買えなかった)でした。本物のカエルと同じように、後ろ足を収縮させながらスイスイ泳ぐ。こりゃあ凄い!カエルの泳ぎそのものじゃないか。

当時、父親がハリソンのスーパーフロッグを持っていて、それが雑誌に出てくるライギョ釣り名人のイチ押しとされていたのですが、平ぺったい脚をユラユラさせるだけで自分はあまり好きじゃなかった。そして、形状の割りにちっとも脚が動かないのでスナッグプルーフのフロッグなどは使う気にさえなれなかった。でも結果的に一番魚を釣ったのはスナッグプルーフだったのだから皮肉なものです。

もちろんプラグも色々と持ってはいましたが、いかんせん当時はあまり良いルアーを所有していませんでした。真っ直ぐ泳ぐものさえ限られていたくらいなので動きの優劣なんてそんなに意識していなかった。

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ところが、友達が投げているジョイントラパラの動きを見てびっくりした。それは実に艶かしくクネクネと泳ぐのです。これはスゴイ!そして友達はそのジョイントラパラで何尾かのバスを釣り上げた。ジョイントラパラ、スゲェ!欲しい!と思ったのですが当時中学生だった自分にはとても手が出ず。

そして、ワーム。私が一番最初に買ったワームはジェリーワーム6インチの青でした。確かにテキサスリグにセットしてボトムバンピングするとクネックネッと動いているけれど、まぁ想像の及ぶ範囲内の動き。けれどもレーベルのリングワームには驚いた。何だ、このテールのピラピラした動きは!まるで本物の生き物みたい、これは釣れそう!それからというもの、自分の中でワームと言えばカーリーテール。何より引いてて楽しく、釣れる気がした。

子供の頃からルアー釣りを経験していく中で、自分は多少なりともルアーそのものの魅力にも強く惹かれてきた。ボックスの中では単なる無機物なのに、まさか水の中でこんな風に動くなんて!そんな意外性に惹かれたのかもしれない。

でも、自分自身がそんな経験を積んできたにも関わらず、ビギナーの人に釣らせるためにイモグラブの放置などをさせたこともある。魚を釣らせる手段としてはそれで間違いではないのだけれども、これではきっとルアーが単なるエサの代わりくらいにしか思えないかもしれない。「何?この動き!」「うわっ釣れた!」出来ることならばそれが理想。もしそんな経験をしたら、その人がその先に釣りを続けるかどうかに関わらず、きっと脳裏から離れない光景になると思う。

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夢溢れた時代 [メモリー]

1970年生まれ。千葉県育ち。いい時代、いい場所に生まれ育ったとつくづく思う。

学校では大抵1クラスに平均して2~3人は釣り好きの同級生がいた。小学生、中学生の間で魚釣りは人気が高かったのです。TVでは「飛び出せ!釣り仲間」という番組が始まり、釣りキチ三平のアニメも放映が始まった。そして元々単行本を読んでいた私は驚いた。三平君って、風大左衛門と同じ声だったんだ、と(笑)

それでも、当時は釣り=オッサンの趣味だったので女子にはモテませんでしたが。

休み時間になると、週末の釣行を画策するグループが現れる。とはいえ行動範囲は限られているので大体の場合は自転車で40分ほどで行ける、印旛新川で鯉の吸い込みもしくはヘラ釣りといったところがせいぜいでした。本当はバス釣りをしたかったけれども、子供の行動範囲にはまだバスの釣り場は存在しなかった。しかし、私の父親や友達のお父さんなどが、たまに車でバスが釣れると言う場所に連れて行ってくれた。

やがて、将監川、牛久沼、印旛沼などでバスが釣れるようになった。自分の足で動ける範囲でバスが釣れる、こんなに幸せなことはないと思った。そりゃあもう、がむしゃらに釣りまくった。

一方でゲームセンターに入り浸りになる友達もいましたが、当時のゲームなんてインベーダーゲームを筆頭にギャラガ、ドンキーコング。こんなゲームを相手に散財する友達も少なくなかったのですが、自分はイマイチ性に合わず。でもゲームウォッチの登場はそんな自分にも衝撃的だった。それまでゲームといったらゲーセンでお金を払ってやるものだったのが、自分のゲームだったらタダで遊び放題じゃないか!といいつつも、買えなかったのですけど。

高校に上がると釣りの人気は急落した。当時は学園ドラマでツッパリ役の近藤マッチや沖田浩之が人気があり、クラスには大抵、ツッパリ風の同級生が数人はいた。カバンはペッタンコに潰するのが彼らの流儀だ。そしてツッパリに自転車は似合わない。ツッパリにはやっぱりバイクが似合う。そんな理由だったかどうかは定かでなかったが、多くの友人が原チャリに乗るようになった。原チャリで牛久沼に通う知人もいた。私は相変わらず自転車で汗だくになりながら釣り場に通っていたので、機動力の無さを痛感していた。

大学に入ると私も免許を取り、車を所有した。ボートの免許も取り、フットコンエレキ一式も買った。アルバイトをすることで収入もあり、欲しい釣具も買えるようになった。印旛沼、亀山ダムのバスは全盛期に突入し、釣れまくりだった。将来の夢は(それだけで飯が食えるとは思わなかったが)トーナメントで活躍するアングラーになる事。それに向けて着々と準備を進め、とうとうジョンボートまで入手し、いよいよ大会への参加を始めた。

決して勉強ばかりしていたわけでもないのに、いい会社に就職できた。当時は完全な売り手市場で、大学の研究室には連日、企業の人達がひっきりなしに自社アピールしに来るくらいだった。就職できないということはあり得なかった。当時の就職活動というのは、一流企業に入れるか否かが全てだった。

就職と共に実家を離れ、都内での生活が始まった。時代はバブル真っ盛り。ジュリアナ東京のお立ち台でボディコンのお姉さん達が踊り狂っていた時代。実家を出て自由の身になったことをいいことに、自分も夜遊びを覚える。実家を出て数ヶ月が経った頃、気がつけば髪は茶髪のロン毛、派手な色のスーツを着て夜の繁華街を徘徊するようになった。アフター5の自分は完全に見た目がホスト風になっていた。

生活が変わった途端にすぐに彼女が出来た。22歳にして始めて出来た彼女だった。デートも旅行も沢山行った。するといつの間にか、周囲からデートコースの相談を受けるほどになっていた。合コンは参加するよりも、企画する側の方が多かった。この頃は同性の友人よりも、女友達とばかり遊んでいた。

冬にはスキーにも良く行った。自分は滑りが上手くはなかったが、都会の生活から抜け出して雪山で一日を過ごすことには楽しみを感じていた。でも当時は男女問わず冬はスキーに夢中という時代、スキーをするというだけで女の子と共通の趣味ということで話も弾んだものです。

そんなヤンチャ時代でもバス釣り熱はますますヒートアップしていた。ボートも12ftのVになり、車も荷物が載せられるだけのものに変わった。全国区の大会に出るからにはそれが最低ラインだと思った。あとは成績を出していくだけ。当時はバストーナメントも活気があり、きっともっといい将来が待っているんだろうと思った。もしかしたらバス釣りだけで飯が食える時代になるかもしれない、本気でそう思えた時もあった。

夢や希望に溢れた中で、夢中になってやってきた。時代も環境も、全てが良かった。

それに引き換え、今の時代の子供達。地域にもよるけれど、行動範囲内に釣り場があるのか。あったとしても、学校で水辺に近づくことを止められているのではないか。だいいち、そこでバスは釣れるのか?もしバスがいたとしても釣れるだけの個体数なんていないんじゃないのか。

そして学校で釣りが流行っているか?流行ってなんかいないだろう。今はクラスどころか、学年でも数人程度しか釣りをする同級生はいないんじゃないだろうか。釣り仲間を作るのは難しそうだ。そもそも外で遊ぶより、携帯いじっている方が楽しいだろう。そして携帯の通信費は馬鹿にならないだろう。自由に使えるだけの金銭の余力が果たしてあるか。

原チャリ、バイク、そして社会人になったら車。我々の世代が当然のように買ってきたこれらの乗り物も最近の若い人達は興味が薄れてきている。というより、将来への不安がある時代ゆえに維持費の掛かるものに手を出そうとしない。車が無ければ釣り、そしてウインタースポーツなども本格的にやろうとは思わないだろう。今の若い人は旅行などもあまりしないのかもしれない。

就職するにも大変な時代になった。いい大学に入っても就職すらままならない。

こんな時代になってしまった要因には、私の世代が遊びすぎたというのもきっとあるんだろう(全ての人がそうだったわけではないが)。今の若い世代には申し訳ないという気持ちさえ感じてしまう。

もしも今の時代に自分が生まれていたら果たしてバス釣りをやっていただろうか。多分、それはないと思う。バス釣りしていない自分なんてちょっと想像できないけれど、あまりまともな人間にはなっていないような気がするな・・・

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釣具屋メモリー [メモリー]

私の実家は千葉県の船橋市にあります。ただ、一口に船橋市といっても広く、私の実家があるのは北部の方で、船橋の中心部よりも白井や鎌ヶ谷市に近いと言えます。

間違っても交通の便が良い場所とは言えません。最寄の路線は新京成電鉄というマイナーな路線で都心に出るにはかなり面倒。さらに私の実家は最寄り駅まで徒歩30分、バス停でさえも10分は歩く必要があります。そんな環境もあってか、私は高校まで自転車で35分、大学まで自転車で45分かけて通っていました(大学は途中から車で行くようになりましたが)。電車の定期券を所有したのは社会人になってからのことです。

そんな場所なものだから、釣具を買うのにも苦労していました。特に小中学校の頃は自転車といえどもそんなに遠くまで出掛けるわけにはいかず、限られた地元のお店で買い物をするしかありませんでした。

最寄り駅の商店街に、H口釣具店というお店がありました。こじんまりとしたお店で、しかも店の半分は観賞魚の販売をされていました。その販売されていた魚の中には、赤ちゃんライギョや赤ちゃんバス、さらには赤ちゃんブラウントラウトなどもいたように記憶しています。当時はなかなかルアーで魚が釣れない時代でしたから、こうした魚たちは当然の如く私にとっても憧れの魚たちで、水槽を前にしてこれらの魚に釘付けになっていたものです。

ここのお店はオリムピックさんの商品が主力で、フレクトライトミノーやエバンスのスプーンなどが売られていた記憶があります。それよりも、当時は鯉の吸い込み釣り用の仕掛けや練り餌(大ごい、さなぎ粉、鯉カレー)を買っていたかな。

そして、駅からは離れていた場所でしたが、鎌ヶ谷市にはIレブン釣具店(スペル的に正しくはEなのでしょうけどIと表記します)というお店がありました。ここは単独店舗で駐車場もあり、この界隈では比較的立派なお店と思いました。私の自宅からは自転車で20分ほどで行けました。

ここもエサ釣りが主体でしたが、ルアーの取り扱いもありました。どうやらシマノ色が強いお店だったようで、シマノのエクストリームモデル、コレクションモデルなどを販売されていました。エクストリームシリーズのルアーは比較的高価なもので当時の私には手が出ませんでした(¥1500前後だったかな?)。コレクションモデルのルアーはいくつか購入しました。

また、私が中学生の頃だったか、鎌ヶ谷市の外れの方にY崎屋というお店が出来ました。かなり細い道を入っていかないといけないような場所にあり、友達に聞かなかったらお店の位置が全くわかりませんでした。ここはご夫婦が経営されていた小さなお店で、ヘラが主体のお店でした。何せ数年後には、お店の横にヘラ大学という管理釣り場まで始めてしまったくらいですから筋金入りのヘラ釣り好きのご主人だったのでしょう。

しかしここはダイワさんの取り扱いをメインにされていたようで、ダイワのルアーも販売してくれていました。ここではバスハンターやドリンカー、ブルフロッグⅡ、シースネークなど、実に多くのルアーを買いました。ルアー用のリールもダイワ、シマノを中心に販売されており、学校内のバンタム派、ファントム派の多くはこのお店でリールを買っていたように思います。

いつも店番は奥さんがしていた気がしますが、釣りに関してはかなり疎い印象でした。それでもお店に小中学生が来てくれるのが嬉しかったようで、ダイワから新しいルアーが出ると仕入れてくれて「今度こういうのが出たよ」と私たちにいつも教えてくれました。今思えば、近所のルアー少年達のためにルアーを置いていてくれたのもしれません。

やがて私も高校、大学に進むに従って行動範囲も広くなり、地元のお店にはほとんど足を運ばなくなってしまったのだけれど、今でも残っている釣具屋さん、あるのかな?

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バレンタイン・フィッシュ。 [メモリー]

今年もバレンタインデーがもう間もなくです。今でこそ私も立派なオッサンなのであまり盛り上がりませんが高校・大学の時といったらそりゃあもう・・・チョコなんてほとんどもらった試しがありません(涙)。私の場合、社会人になってから私生活が一気に大ブレイクしてしまったのですが、学生の頃はとても真面目で大人しい生徒でした、多分。

さて、そんなモテない男子だった私もバレンタインデーになると心が躍った。いや、この日を境にというのが正しい。

学生時代に足繁く通った印旛新川。ベストシーズンであれば学校帰りにほんの1時間ルアーを投げるだけで毎回5尾以上は釣っていました。それでも当時の自分には釣りに幅がなく、冬になると苦戦してしまうのでした。やがてドン・アイビーノのドゥードゥリングにヒントを見出した私は、ところにより部分的に残っている矢板周りでスライダーワームの1/8ozテキサスリグを一点シェイクするという方法を見出し、冬バスを釣ることが出来るようになりました。が、それで釣れるのも12月一杯までで、1月~2月前半にかけてはどうあがいてもバスを釣ることが出来ませんでした。どこをどう釣っても、まるっきり魚の気配を感じ取る事が出来なくなってしまったのです。

ところがバレンタインデーを境に、とある区間でいきなりハードルアーでの爆釣が始まる事を仲間と共に発見しました。但しその場所においても午前中は全く魚の気配がないというのに、昼過ぎになると大量の魚が沸いて来て、クランクベイトを引くとガンガンヒットしてくる。群れでスクールしている魚のようで、時にはルアーの後を2~3尾のバスが追尾してくることもあった。半日ほどで二桁は超えてしまうほど強烈なものでした。そしてそれは多少の冷え込みなどは全く関係がなく、時には雪が降りしきる中でも全く変わることなく釣れ続けていた。

しかし釣れるのはその区間のみで、そこから離れると全く魚の気配を感じない真冬の釣り場そのものでした。そして季節が進むにつれ釣れる区間が徐々に拡がっていき、やがて全域に渡る、といった按配でした。その場所はまさしく印旛水系で最も早い「釣れ始め」の場所でした。

そしてその場所が釣れ始めるのが毎年決まってバレンタインデーの頃だったのです。だから私は、バレンタインデーが近付くと気持ちがソワソワして仕方がありませんでした。

ちなみに、かつての横利根川もそんな感じでした。2月中旬には、特定の護岸沿いを1往復するだけでサラッと5本は釣れた。それが変わってしまったのは北利根川出口の水門が開けっ放しになってしまってからのことです。現在でも横利根川は寒い時期の定番のように言われていますが、私に言わせればそのポテンシャルは当時とは比べものになりません。

バレンタインデーを境に、魚が一気に動き出す場所がある。現在は魚の個体数が少ないので明らかな違いを感じる事が難しいかもしれませんが、私は今でもバレンタイン・フィッシュが居ると確信しながら釣りを続けているのです。

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フォーミュラ回顧録・2 [メモリー]

【フィッシュフォーミュラ ガーリックセント】

元祖フィッシュフォーミュラ社のフォーミュラには多数のバリエーションがあります。中にはラメが沢山入ったものもあるのですが、私はそれはちょっと使う気になれませんでした。何だか水中にラメを撒いているようで・・・。

ガーリックセントはその名の通りニンニクエキスが入っていたもので、色も無色透明。これだったらエコ?だろうということで選択してみました。当然、強烈なニンニク臭。部屋までニンニク臭が漂ってしまったのには少し閉口。ちなみに、思ったよりはサラッとしていてワームには頻繁に塗付する必要があるように思いました。

しかし私はこのフォーミュラの使用方法を失敗したのかもしれません。私は、当時の主力だったサタンワームをこのフォーミュラで漬け込みました。結果、ニンニク臭もワームにバッチリ移り、きっと釣果も上向くだろうと思いました。ところが結果はまるで逆。釣れなくなった!マジ?!と思ってフォーミュラに漬けていないサタンワームを入れるとすぐ釣れる。おかしいなと思いつつフォーミュラ漬けしたサタンワームを再度入れると、やっぱり釣れない。何度やっても結果は同じ。なんてこった!バスはニンニク臭が嫌いなんじゃないのか?その時、私は本気でそう思ったのです。

しかしよくよく検証すると、別の理由があったことに気付きました。フォーミュラに漬け込んだサタンワームはフォーミュラが染み込んだことで少し肥大化していました。薄かったテールも厚くなり・・・そうです、テールがピロピロと軽快に動かなくなっていたのです。多分、それが一番の要因だっただろうと思います。しかしこの時のトラウマで、未だにニンニク臭がするものはバスが釣れないという気がしてなりません。

【ゲーリーヤマモト フィッシュアトラクタント】

ズバリ、イカ臭い乳白色のペースト状フォーミュラ。う~むこれは何かを連想させる(笑)。元々の容器はプラスチックのボトルでした。このまま使っても別に良かったのですが、やはりいちいちワームに付けるのが面倒臭い。

当時、ジュースジャグという商品がありました。何てことはない、大口のビンのようなもので、中にフォーミュラを入れてボートに固定し、ロッドからルアーを垂らした状態でビンの中にルアーを入れ、フォーミュラに漬け込むということを可能にするものでした。うむ、確かにあると便利かも。

私はカー用品店でドリンクホルダーを買い、そして大口のビンを用意しました。これをアルミボートの船べりに固定してジュースジャグとして使用するという魂胆でした。中にはこのゲーリーのアトラクトタントを入れた。そして私の目論見通り、ロッドの先にルアーをぶら下げたままフォーミュラ入りのビンにルアーを漬け入れることが出来るようになりました。こりゃ面倒でなくてイイわ!と最初は思った。

ですが、蓋を空けっぱなしで長時間日光にさらすとフォーミュラがだんだん硬くなっていきました。そして極めつけは、小蝿がたかってる!結局ビンの中のフォーミュラは小蝿まみれになってしまい、駄目だこりゃとなりました。

まぁそれは私自身の失敗談と言えるのですが、フォーミュラ自体には非常に良い印象を持っています。ただ、このフォーミュラは現在生産中止だったと思います。フォーミュラは短命なものが多いですね。

【バークレイ パワーベイトフォーミュラ(バス用)チューブタイプ】

ジェル状のチューブタイプというだけで思わず飛び付いてしまいました。ジェル状のものをワームに直接塗り付ければ保ちはかなり良いだろうし、チューブ入りというのはオカッパリにも都合がいいだろうと思いました。まして、バークレイ製とくれば信頼性も高い。ただ、買う時にちょっと戸惑ったことが1点ありました。フォーミュラの色がチャートリュース!出来ればもっと自然な色の方が良いと思うのだけれど。

しかしこのフォーミュラ、初めて使用した際に愕然。てっきりドロドロのジェル状だと思っていたのにかなり硬いものでした。味噌よりも硬かった。だから、ワームに付けようとしても付けられない。これじゃあどうしようもない、買って失敗したかな?

参ったなぁと思いましたが、釣りからの帰宅後にふと思い付きワームオイルで希釈してみることにしました。するとこれが大正解!私好みのドロドロ加減にすることが出来ました。しかもそれだけではなく量が倍増!結局、1つのチューブで2シーズン位保ってしまった。かなりのお得感がありました。

私好みのドロドロなジェル状にしたことによりワームに大量に付けても保ちは抜群でしたが、せっかくワームのカラーがナチュラルなものを使っているのにチャートリュースのフォーミュラが付いているというのも何とも滑稽なことではありました。また、ダウンショットではこのフォーミュラの色が仇となりました。ワームに付着させたフォーミュラが下部のリーダー部分にも付いてしまうと、やはりその部分も目立ってしまっていました。だから私もあまり大量にワームに付け過ぎないよう注意をしながら使っていました。

ですが、さすがはバークレイ。魚の喰いは良かったという印象を持っています。現在は日本では販売されていないと思います。

【スミス・キラーローション】
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これも生産中止となってだいぶ経つ物です。私自身も限られた手持ちを大事に使っていましたが、ある時千葉の某店に大量に残っているのを発見!しかもセール価格ではないですか。見た感じ、ホコリの被り方やパッケージシールの色褪せも目立ったので相当長い間売れ残っていたものだったのでしょうが、私にとってはまさしく宝の山と呼ぶにふさわしく、数10本ものキラーローションを大人買いすることが出来たのです。

嬉しさのあまりその日は寝付けなかったほど。次の日の朝、キラーローションを大量買い出来たのが夢だったんじゃないかと焦りましたが、部屋にある大量のキラーローションを見て「夢じゃなかったんだ~」と安堵したのを覚えています。

初代キラーローションは大型のスプレーボトル。2代目キラーローションは小型のスプレー缶です。ちなみに当時の担当者に確認したところ、中身も少し違っているのだそう。いずれも比較的サラッとした印象です。ワームに付着する皮膜も薄い気はしますが、不思議と保ちは良好です。ワームの漬け込みもOK。悪臭でないのも良い。

魚の喰いに関してはかなり信頼して使っています。バイト数が増えるというよりは、喰った魚が離しにくいという点においてです。だから1尾が貴重な冬の釣りにおいては絶対的に欠かせない存在なのです。

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